一つ二つより、手間かけても百から選ぶが…
熟し柿は取りに行くもよし落つるを待つも…
知らない株に手を出すなは昔のこと 難し…
相場格言
2008年04月07日
是枝周樹社長に「経営への思い」を聞く
ミロク情報サービス<9928>(東2)売買単位500株
公認会計士事務所とその顧問先企業に
財務・会計・税務システムを開発販売
■平成23年3月期に連結経常利益30億7000万円を目指す
ミロク情報サービス(9928・東証2部)は、税理士・公認会計士事務所約8400所と、その顧問先企業を中心とする約1万7000社の企業ユーザーに対し、財務・会計・税務システム等の開発、販売や各種サポートサービス、経営情報サービスなどの経営支援サービス事業を展開している。2007年(平成17年)11月に会社設立30周年を迎えたが、同社のこれまでの歩みを紐解くと、倒産に巻き込まれそうになったり、決定していた株式公開が延期となったり、決して平坦な道のりではなかった。創業者は現会長の是枝伸彦氏。2005年4月に代表取締役社長に就任した是枝周樹氏は会長の長男。「小さい頃の父はとにかく忙しい人で家に居た記憶がない。あとを継ぐ気持ちは全くありませんでしたが、仕事をやっているうちにおもしろさや奥深さを感じ、今は、そのことに気づかせてくれた父、そして私を育んでくれた多くのステークホルダーの皆さんに恩返しをしたい気持ちです」という是枝周樹社長に「経営への思い」に対するインタビューを交え、同社の歩みと展望を取り上げた。
■大型コンピューターのバッチ処理が一世風靡
――是枝伸彦・現会長(以下、会長として紹介)は、同社の母体となる『ミロク経理』の専務取締役だったとお聞きしています。
是枝社長 そうです。ミロク経理と計算センター運営の『JACOS』が共同出資で『ミロク情報サービス』を1977年11月に設立、計算センタービジネスを主力としてスタートしました。設立時から会長は非常勤取締役として経営に参加、1979年から常勤取締役となり実質的な代表者として動いていました。計算センター方式とは会計事務所が端末機で入力した顧問先の日々の仕訳データをセンターの大型コンピューターでバッチ(一括)処理することにより計算処理手数料を得る受託ビジネスです。紙テープで入力し郵便か宅配で計算センターへ送り、データが戻るまで最低3日かかり、修正が入ると、さらに時間がかかりました。それでも当時のオフコンは入力の制限が多く、処理スピードも遅いため計算センターの方が上で、さほどオフコンを脅威とは感じていませんでした。
――ところが、同業他社が財務専用のスピードの速いオフコンを投入してきたのですね。
是枝社長 ええ、目に見えて計算センターの利用客が減り、オフコンを手がける必要に迫られました。しかし、パートナーの『JACOS』はオフコン進出には乗り気でありませんでした。このため、1980年にJACOSと共同出資を解消、ミロク情報サービスはミロク経理の100%出資の子会社となり、さらに同年11月に会長がミロク経理より全ての株式を買い取り代表取締役に就任しました。ここで、ミロク経理とは資本関係が全くなくなり独立した企業となったのですが、会長が気に入っていた社名をそのまま残したことが後日、ミロク経理の倒産に巻き込まれることになってしまったのです。
■安価で優秀な機能を備えたオフコンが大ヒット
――この点はのちほど改めてお聞きしますが、独自でオフコンに進出されたのでしょうか。
是枝社長 手がけました。しかし、やるからには、「家電感覚で高齢者でも簡単に使えなくてはいけない。競合他社より安価で便利なオフコンを開発して世に出せば必ず追いつき追い越せる」という強い会長の思いを持って臨んだのです。計算センタービジネスの終息をはかりながらオフコン事業を立ち上げる事業に着手したのです。1980年夏、わが社初のオフコン「ミロクエース・モデル100」を開発・販売しました。当時、財務専用オフコンは200万円以上だったのですが180万円に価格を設定。しかも、年間データ一括保有型に加えて漢字印刷が可能という優秀な性能を備えたものでした。
――一括データ保有型とは。
是枝社長 一般のソフトは月次更新方式といって、いったん締めると過去に遡って更新ができませんが、当社のものは追加のデータを入力更新しても正しく月次決算書を作成できるというものです。また、それまでは勘定科目や商品名を入力するにはコード化された4ケタ程度の番号を打ち込まなくてはならずミス発生の原因となっていました。"エース100"では、勘定科目名が刻印されたアイテム・キーボードを採用したことで、たとえば「現金」という刻印されたボタンを押すだけで入力が可能という画期的なものです。2年で2000台を超える専用機を販売し会社は一気に拡大しました。さらに、1983年には会計事務所顧問先企業向け専用機「プロオフコン経理MJSモデル280」を投入。会計事務所と顧問先企業が同系統のシステムを活用することで双方の業務効率アップに貢献できたことにより販売は絶好調でした。
■かつての親会社が倒産、厳しい状況から脱却
――ところが思わぬ騒動に巻き込まれてしまった。
是枝社長 好事魔多しですね。かつての親会社ミロク経理が300億円以上もの負債を抱え倒産してしまった。1980年(昭和55年)以降、資本関係はなく提携も取引もなかったのですが、社名が同じということだけで風評被害に巻き込まれ業績が落ち込みました。資本関係がなくなった時点で社名を変えることも考えられたのですが、「弥勒菩薩」に由来する社名は菩薩の心を持った優しく、社会に貢献する会社でありたいとの思いがあったため社名をそのままとしたのです。厳しい状況に追い込まれいつ潰れてもおかしくないほど落ち込みました。
――大変なご苦労と経験をされましたが、見事に乗り切られました。
是枝社長 倒産した会社とは関係のないことを新聞で公告しようとしましたが、裏づけの取れるまでは掲載できないと断られ大変でした。しかし、悪いことばかりも続かず、1988年12月30日施行、89年4月1日実施の消費税法の特需が訪れた。消費税シミュレーションシステムを開発・販売。これが当った。納品まで3ヶ月待ちという状態で再び業績が上向きに転じた。それまでは株式上場には関心がなかったのですが、ミロク経理の倒産騒動が教訓となり財務体質強化の必要性を痛感し株式上場を目指すことを決意しました。
■上場計画が市場の閉鎖で延期に
――ところが、上場に当っても冷水を浴びせられてしまったのですね。
是枝社長 1987年8月期決算では売上高53億円、翌年67億円、次は決算期を3月に変更し7ヶ月でしたが55億円と好成績で、さらに1990年3月期には128億円と100億円を突破しました。まさに消費税効果です。そして、店頭市場の公開が決まり、91年12月13日から入札開始、入札価格も2700円と決まりました。しかし、直前に証券界の損失補填問題で店頭市場が閉鎖され新規公開が全面延期されてしまった。翌年92年5月12日に再開されましたが、決算はやり直し、審査も厳しくなった。やっと92年7月22日に再承認を得て8月13日の公開となったのですが、入札価格は当初の価格を大きく下回る1375円、初値2000円のスタートです。
――10周年の時は倒産騒動に巻き込まれましたが、株式公開は結果的に15周年の記念のフシ目となりました。96年には現在の新宿御苑近くに地上9階、地下1階の本社ビルを建設。そして、20周年のフシ目の97年8月に東証2部に上場されました。ところがまた同社に波乱が押し寄せる。
是枝社長 97年に改正消費税が施行され、これに対応したソフトを開発し販売しましたが、設計段階で想定しなかった使い方をされ、欠陥報道までされ株価は連日のストップ安です。これは乗り切りましたが、根本的なことが起きていました。2000年3月期に売上高は200億円を突破し200億円企業の仲間入りをしましたが、経常利益は97年3月期の17億8000万円をピークに00年3月期には10億910万円に落ちた。原因は人員の増加にあった。店頭公開時に600名だった従業員数は800名に増加し1人当たりの生産性が低下したためです。倒産騒動に巻き込まれた経験の従業員が、上場会社になったら潰れることはないはず、という安心感から大企業病に陥っていたのです。会計をパッケージ商品にできるはずがないと言われたのを専用機で実現したことで、ある意味楽な営業をやっていたことも響いた。しかも、MS−DOSは使い勝手が良かったため、ウインドウズへの対応も遅れた。2002年3月期にはオフコン市場参入以来、初の経常赤字になってしまった。パッケージ商品である専用機を売っていた時代に営業社員に求められたのは業務知識とユーザーとの人間関係重視でしたが、ITソリューションとコンサルティング営業のできる広範囲な知識・見識が求められるように変わった。
――次は、1部上場、売上1000億円の目標をお持ちでしたね。
是枝社長 その声も届かなくなっていました。1部上場にどんな意味があるのか、といった声が社員の間から聞かれるようになった。97年の2部上場から5年後の02年、25周年に合わせて1部上場という計画は崩れてしまった。経営者にも1部上場の意味、つまり1部上場企業となればファンドなどにも組み込まれパブリックカンパニーとしての認知が格段に違ってくる。そうした説明を語り続ける努力を怠ってきたこともあったと思います。
――もちろん、これでへこたれる同社ではありません。今再び、力強く前進されています。
是枝社長 もともと、当社が会計事務所システムベンダーとして出発したのは、会計事務所の先にある中小企業の存在を見据えてのことです。中小企業は日本の企業全体の90%以上。税理士・公認会計士事務所とその顧問先企業の繁栄に寄与することをミロクの社名に込めて一貫してやってきたのです。現在、会計事務所8400所、一般企業1万7000社のユーザーに恵まれています。2004年には「MJS電子証明発行サービス」を開始しました。行政が推進する電子申告の際に必要な特定認証業務の認定を受けた認証局にしかできない電子証明書(電子身分証明書)を発行するサービスであり認証局は9社、そのうちの1社が当社です。また、600万事業者に向けた中小企業ポータルサイト「海」を運営、ビジネス文書のひな型、会社定款例などの書式集を提供しています。会計事務所システムベンダーから出発し、現在はソリューションベンダーとして領域を拡大しています。
――ロゴについてお願いします。
是枝社長 ロゴのMは人の腕、中央の顔を包み込むような丸い形の手は和の精神を表しています。
――今後の見通しをお願いします。
是枝社長 昨年11月に中期経営計画を策定し発表しまいたが、平成23年3月期に連結で売上高222億円(平成19年3月期185億9000万円)経常利益30億7000万円(同4億2800万円)、売上高経常利益率13.8%(同2.3%)を目標にしています。
公認会計士事務所とその顧問先企業に
財務・会計・税務システムを開発販売
■平成23年3月期に連結経常利益30億7000万円を目指す

■大型コンピューターのバッチ処理が一世風靡
――是枝伸彦・現会長(以下、会長として紹介)は、同社の母体となる『ミロク経理』の専務取締役だったとお聞きしています。
是枝社長 そうです。ミロク経理と計算センター運営の『JACOS』が共同出資で『ミロク情報サービス』を1977年11月に設立、計算センタービジネスを主力としてスタートしました。設立時から会長は非常勤取締役として経営に参加、1979年から常勤取締役となり実質的な代表者として動いていました。計算センター方式とは会計事務所が端末機で入力した顧問先の日々の仕訳データをセンターの大型コンピューターでバッチ(一括)処理することにより計算処理手数料を得る受託ビジネスです。紙テープで入力し郵便か宅配で計算センターへ送り、データが戻るまで最低3日かかり、修正が入ると、さらに時間がかかりました。それでも当時のオフコンは入力の制限が多く、処理スピードも遅いため計算センターの方が上で、さほどオフコンを脅威とは感じていませんでした。
――ところが、同業他社が財務専用のスピードの速いオフコンを投入してきたのですね。
是枝社長 ええ、目に見えて計算センターの利用客が減り、オフコンを手がける必要に迫られました。しかし、パートナーの『JACOS』はオフコン進出には乗り気でありませんでした。このため、1980年にJACOSと共同出資を解消、ミロク情報サービスはミロク経理の100%出資の子会社となり、さらに同年11月に会長がミロク経理より全ての株式を買い取り代表取締役に就任しました。ここで、ミロク経理とは資本関係が全くなくなり独立した企業となったのですが、会長が気に入っていた社名をそのまま残したことが後日、ミロク経理の倒産に巻き込まれることになってしまったのです。
■安価で優秀な機能を備えたオフコンが大ヒット
――この点はのちほど改めてお聞きしますが、独自でオフコンに進出されたのでしょうか。
是枝社長 手がけました。しかし、やるからには、「家電感覚で高齢者でも簡単に使えなくてはいけない。競合他社より安価で便利なオフコンを開発して世に出せば必ず追いつき追い越せる」という強い会長の思いを持って臨んだのです。計算センタービジネスの終息をはかりながらオフコン事業を立ち上げる事業に着手したのです。1980年夏、わが社初のオフコン「ミロクエース・モデル100」を開発・販売しました。当時、財務専用オフコンは200万円以上だったのですが180万円に価格を設定。しかも、年間データ一括保有型に加えて漢字印刷が可能という優秀な性能を備えたものでした。
――一括データ保有型とは。
是枝社長 一般のソフトは月次更新方式といって、いったん締めると過去に遡って更新ができませんが、当社のものは追加のデータを入力更新しても正しく月次決算書を作成できるというものです。また、それまでは勘定科目や商品名を入力するにはコード化された4ケタ程度の番号を打ち込まなくてはならずミス発生の原因となっていました。"エース100"では、勘定科目名が刻印されたアイテム・キーボードを採用したことで、たとえば「現金」という刻印されたボタンを押すだけで入力が可能という画期的なものです。2年で2000台を超える専用機を販売し会社は一気に拡大しました。さらに、1983年には会計事務所顧問先企業向け専用機「プロオフコン経理MJSモデル280」を投入。会計事務所と顧問先企業が同系統のシステムを活用することで双方の業務効率アップに貢献できたことにより販売は絶好調でした。
■かつての親会社が倒産、厳しい状況から脱却
――ところが思わぬ騒動に巻き込まれてしまった。
是枝社長 好事魔多しですね。かつての親会社ミロク経理が300億円以上もの負債を抱え倒産してしまった。1980年(昭和55年)以降、資本関係はなく提携も取引もなかったのですが、社名が同じということだけで風評被害に巻き込まれ業績が落ち込みました。資本関係がなくなった時点で社名を変えることも考えられたのですが、「弥勒菩薩」に由来する社名は菩薩の心を持った優しく、社会に貢献する会社でありたいとの思いがあったため社名をそのままとしたのです。厳しい状況に追い込まれいつ潰れてもおかしくないほど落ち込みました。
――大変なご苦労と経験をされましたが、見事に乗り切られました。
是枝社長 倒産した会社とは関係のないことを新聞で公告しようとしましたが、裏づけの取れるまでは掲載できないと断られ大変でした。しかし、悪いことばかりも続かず、1988年12月30日施行、89年4月1日実施の消費税法の特需が訪れた。消費税シミュレーションシステムを開発・販売。これが当った。納品まで3ヶ月待ちという状態で再び業績が上向きに転じた。それまでは株式上場には関心がなかったのですが、ミロク経理の倒産騒動が教訓となり財務体質強化の必要性を痛感し株式上場を目指すことを決意しました。
■上場計画が市場の閉鎖で延期に
――ところが、上場に当っても冷水を浴びせられてしまったのですね。
是枝社長 1987年8月期決算では売上高53億円、翌年67億円、次は決算期を3月に変更し7ヶ月でしたが55億円と好成績で、さらに1990年3月期には128億円と100億円を突破しました。まさに消費税効果です。そして、店頭市場の公開が決まり、91年12月13日から入札開始、入札価格も2700円と決まりました。しかし、直前に証券界の損失補填問題で店頭市場が閉鎖され新規公開が全面延期されてしまった。翌年92年5月12日に再開されましたが、決算はやり直し、審査も厳しくなった。やっと92年7月22日に再承認を得て8月13日の公開となったのですが、入札価格は当初の価格を大きく下回る1375円、初値2000円のスタートです。

是枝社長 97年に改正消費税が施行され、これに対応したソフトを開発し販売しましたが、設計段階で想定しなかった使い方をされ、欠陥報道までされ株価は連日のストップ安です。これは乗り切りましたが、根本的なことが起きていました。2000年3月期に売上高は200億円を突破し200億円企業の仲間入りをしましたが、経常利益は97年3月期の17億8000万円をピークに00年3月期には10億910万円に落ちた。原因は人員の増加にあった。店頭公開時に600名だった従業員数は800名に増加し1人当たりの生産性が低下したためです。倒産騒動に巻き込まれた経験の従業員が、上場会社になったら潰れることはないはず、という安心感から大企業病に陥っていたのです。会計をパッケージ商品にできるはずがないと言われたのを専用機で実現したことで、ある意味楽な営業をやっていたことも響いた。しかも、MS−DOSは使い勝手が良かったため、ウインドウズへの対応も遅れた。2002年3月期にはオフコン市場参入以来、初の経常赤字になってしまった。パッケージ商品である専用機を売っていた時代に営業社員に求められたのは業務知識とユーザーとの人間関係重視でしたが、ITソリューションとコンサルティング営業のできる広範囲な知識・見識が求められるように変わった。
――次は、1部上場、売上1000億円の目標をお持ちでしたね。
是枝社長 その声も届かなくなっていました。1部上場にどんな意味があるのか、といった声が社員の間から聞かれるようになった。97年の2部上場から5年後の02年、25周年に合わせて1部上場という計画は崩れてしまった。経営者にも1部上場の意味、つまり1部上場企業となればファンドなどにも組み込まれパブリックカンパニーとしての認知が格段に違ってくる。そうした説明を語り続ける努力を怠ってきたこともあったと思います。
――もちろん、これでへこたれる同社ではありません。今再び、力強く前進されています。
是枝社長 もともと、当社が会計事務所システムベンダーとして出発したのは、会計事務所の先にある中小企業の存在を見据えてのことです。中小企業は日本の企業全体の90%以上。税理士・公認会計士事務所とその顧問先企業の繁栄に寄与することをミロクの社名に込めて一貫してやってきたのです。現在、会計事務所8400所、一般企業1万7000社のユーザーに恵まれています。2004年には「MJS電子証明発行サービス」を開始しました。行政が推進する電子申告の際に必要な特定認証業務の認定を受けた認証局にしかできない電子証明書(電子身分証明書)を発行するサービスであり認証局は9社、そのうちの1社が当社です。また、600万事業者に向けた中小企業ポータルサイト「海」を運営、ビジネス文書のひな型、会社定款例などの書式集を提供しています。会計事務所システムベンダーから出発し、現在はソリューションベンダーとして領域を拡大しています。
――ロゴについてお願いします。
是枝社長 ロゴのMは人の腕、中央の顔を包み込むような丸い形の手は和の精神を表しています。
――今後の見通しをお願いします。
是枝社長 昨年11月に中期経営計画を策定し発表しまいたが、平成23年3月期に連結で売上高222億円(平成19年3月期185億9000万円)経常利益30億7000万円(同4億2800万円)、売上高経常利益率13.8%(同2.3%)を目標にしています。
posted by 犬丸正寛 at 17:57
| 会社訪問・近況と展望
2008年02月23日
OBARAの持田律三社長に『経営と思い』を聞く
『基本を大切にした人生』を貫く
OBARA(6877・東証1部)は、自動車産業向け「抵抗溶接機器」とエレクトロニクス向け「平面研削装置機器」を手がける。世界を代表する二つの大きな産業をユーザーとしているところが一番の特徴。当然、それに応える必要がある同社の技術力は優秀。一昨年8月に東証1部へ昇格、昨年は会社設立50年を向かえた。昨年12月の定時株主総会後の取締役会で社長に就任した持田律三社長に「経営と思い」を聞いた。就任後の社員への第一声は、「挨拶をしよう」だった。「営業時代に会社訪問で感じたことは優秀な会社は挨拶がきちっとできていることです。モノつくりの会社だからこそ大切です。当たり前のこと、基本的なことのできることこそ大切です」と熱く語る持田社長の座右の銘は、「冷静な頭脳と温かき心」である。
「1部上場企業にふさわしい永続的な成長のために経営基盤を強固にして社会的責任を果たすことが私の使命」
――昨年12月21日の定時株主総会で代表取締役社長に就任され、年末年始とご多忙だったのでは。
持田社長 そうですね。年末年始が重なったこともあって、忙しい毎日でした。挨拶回りが一段落しましたので、これから腰を落ち着けて業務に取り組みます。
――今日は、社長の人生に対する思いを今後の経営にどのように反映させていかれるか、個人投資家の皆さんに代わってお聞きしたいと思います。よろしくお願いいたします。
持田社長 こちらこそよろしくお願いします。
――まず、OBARAへ入社されたきっかけからお聞きしたいのですが、経歴を拝見しますと早稲田大学商学部のご卒業(昭和43年3月)でいらっしゃいます。OBARAの事業内容から見て、てっきり理工系のご出身かと思っていましたが文科系でいらしたのですね。
持田社長 そうです。私は根っからの営業大好き人間(笑)で、入社以来ずっと営業畑ひと筋です。入社当時は理工系出身者が多く、それはもう大変でした。特に創業者の小原博最高顧問には相当鍛えられました。
――どんな創業者でしたか。
持田社長 やはり創業者は違いますね。ちょっと表現が適当ではないかもしれませんが、「乾いたタオルをまだ絞る」という厳しさがありました。私も仕事嫌いではありませんが、とにかく忙しく、厳しい会社でした。最高顧問の仕事ぶりを見ていますと、「死ぬなら仕事で」と真剣に思うようになりましたね。
――技術集団の会社でしたか。
持田社長 当時は会社設立後10年で、従業員数は50人程度だったこともあり、技術集団というほどではありませんでした。その頃は、自動車会社を訪問しますと、先方が溶接のことをよく知っていましたから逆に改善点などを教えてもらったものです。今日、世界で戦える技術者集団になることができたのも自動車メーカーに教えてもらいながら、我々もまた彼らの要求に死に物狂いで付いていったからこそだと思います。
――昭和63年(登記上は平成14年12月)に現在の社名へ変更されましたが、カタカナではなく横文字名とされたのはどのような理由ですか。
持田社長 従来の社名(小原金属工業)は固い響きがあるうえに冶金のイメージもあり、人材募集の面でハンディがあったので社名を変更しようということになりました。当初、カタカナも候補に上がりましたが、字画がよくないということや海外事業も拡大していましたので、思い切って横文字にしました。
会社設立50年のフシ目に社長へ就任
――社長へ就任され、社員の皆さんへはどのようなことをおっしゃいましたか。
持田社長 「お互いに挨拶をしよう」と言いました。当たり前のことと思われるでしょうが、営業時代、ある企業の工場を見学した際、工場の皆さんが作業の手を止めて、「いらっしゃいませ」と挨拶してもらったことがあります。デパートの店員さんや営業の方なら当然ですが、工場の方がきっちりとした挨拶をすることに大変感銘しました。その企業は無論、優良企業なのですが、そのような企業はやはり仕事以外の部分もしっかりしているということを学びました。我々は、一昨年の8月28日に東証1部上場企業となりました。東証1部上場企業として「上場企業らしさ」を持つためにも基本的なことをしっかりとやろうと言っています。
――お好きな言葉は。
持田社長 「冷静なる頭脳と温かき心」です。ビジネスは冷静に進めなければいけませんが、温かい心もまたビジネスのみならず人間関係を構築する上で重要なことなので座右の銘にしています。
――これまで、オーナーのもとでやってこられましたが、東証1部に上場され、50年の節目に社長に就任されました。改めて、今のお気持ちを。
持田社長 やはり東証1部上場企業であるという思いを大切にしたいと思います。永続的な成長のために、経営基盤をより強固にして社会的な責任を果たすことが私に課せられた役目だと思っています。
――御社グループの事業は大きくは、自動車業界向けの抵抗溶接機器関連事業とエレクトロニクス業界向けの平面研磨装置関連事業から成っています。いずれも業界上位ですが、個人投資家の方には少々難しいと思いますし、アナリストの方も自動車担当者かエレクトロニクス担当者かということもありますね。
持田社長 確かに当社グループの事業をご理解いただくのに難しいところはあります。個人の株主数が少ないのもこのあたりに原因があると思います。今後は個人投資家向けIRにより力を入れていきたいと思っています。
08年9月期の第1四半期は32.4%増収
営業利益90.2%増と出足好調、今期も年40円配当継続
――2007年9月期は連結で売上13.8%増、営業利益14.5%増、1株利益170.79円、年40円配当の好成績でしたが、新しい期に入っていかがですか。
持田社長 10〜12月の第一四半期では、前年同期に比べ売上高は32.4%伸長しました。営業利益も90.2%の大幅な増益を達成できました。抵抗溶接機器では昨年秋口までは溶接関連の設備投資を調整していた日系自動車メーカーからの引き合いが回復基調に転じ、第一四半期に納入が集中しました。この結果、溶接機器関連の売上は前年同期比で13.4%増え55億93百万円となりました。平面研磨装置関連につきましても受注残の出荷・検収を順調に消化するとともに第二四半期に予定の案件が前倒しとなったことで前年同期比50.7%増の74億78百万円と好調でした。08年9月期の見通しは、当初予想の売上高470億円(3.9%増)、営業利益59億円(6.4%増)、1株利益185.05円は変えていませんが、十分達成できる見通しです。配当は年40円を予定しています。
――ご趣味はいかがですか。
持田社長 ゴルフは好きです。
――社長業が忙しくなりますと、なかなか行けないのでは。
持田社長 これまでは年に35回くらいラウンドしていましたが、今は確かに難しいですね。でも今でも定期的にゴルフスクールには通っています。
――そうですか、熱心ですね。
持田社長 学びに行くと、我流では得られない「ナルホド」というものがあります。基本を知ってやるのと、知らないでやるのとでは大きな差がでると思います。ゴルフのほかにも、週末は水彩画のカルチャーセンターへ通っています。ここでも絵の基本を学んでいます。
――すごいですね。ゴルフのハンディは。
持田社長 13です。
――ありがとうございました。

「1部上場企業にふさわしい永続的な成長のために経営基盤を強固にして社会的責任を果たすことが私の使命」
――昨年12月21日の定時株主総会で代表取締役社長に就任され、年末年始とご多忙だったのでは。
持田社長 そうですね。年末年始が重なったこともあって、忙しい毎日でした。挨拶回りが一段落しましたので、これから腰を落ち着けて業務に取り組みます。
――今日は、社長の人生に対する思いを今後の経営にどのように反映させていかれるか、個人投資家の皆さんに代わってお聞きしたいと思います。よろしくお願いいたします。
持田社長 こちらこそよろしくお願いします。
――まず、OBARAへ入社されたきっかけからお聞きしたいのですが、経歴を拝見しますと早稲田大学商学部のご卒業(昭和43年3月)でいらっしゃいます。OBARAの事業内容から見て、てっきり理工系のご出身かと思っていましたが文科系でいらしたのですね。
持田社長 そうです。私は根っからの営業大好き人間(笑)で、入社以来ずっと営業畑ひと筋です。入社当時は理工系出身者が多く、それはもう大変でした。特に創業者の小原博最高顧問には相当鍛えられました。
――どんな創業者でしたか。
持田社長 やはり創業者は違いますね。ちょっと表現が適当ではないかもしれませんが、「乾いたタオルをまだ絞る」という厳しさがありました。私も仕事嫌いではありませんが、とにかく忙しく、厳しい会社でした。最高顧問の仕事ぶりを見ていますと、「死ぬなら仕事で」と真剣に思うようになりましたね。
――技術集団の会社でしたか。
持田社長 当時は会社設立後10年で、従業員数は50人程度だったこともあり、技術集団というほどではありませんでした。その頃は、自動車会社を訪問しますと、先方が溶接のことをよく知っていましたから逆に改善点などを教えてもらったものです。今日、世界で戦える技術者集団になることができたのも自動車メーカーに教えてもらいながら、我々もまた彼らの要求に死に物狂いで付いていったからこそだと思います。
――昭和63年(登記上は平成14年12月)に現在の社名へ変更されましたが、カタカナではなく横文字名とされたのはどのような理由ですか。
持田社長 従来の社名(小原金属工業)は固い響きがあるうえに冶金のイメージもあり、人材募集の面でハンディがあったので社名を変更しようということになりました。当初、カタカナも候補に上がりましたが、字画がよくないということや海外事業も拡大していましたので、思い切って横文字にしました。
会社設立50年のフシ目に社長へ就任
――社長へ就任され、社員の皆さんへはどのようなことをおっしゃいましたか。
持田社長 「お互いに挨拶をしよう」と言いました。当たり前のことと思われるでしょうが、営業時代、ある企業の工場を見学した際、工場の皆さんが作業の手を止めて、「いらっしゃいませ」と挨拶してもらったことがあります。デパートの店員さんや営業の方なら当然ですが、工場の方がきっちりとした挨拶をすることに大変感銘しました。その企業は無論、優良企業なのですが、そのような企業はやはり仕事以外の部分もしっかりしているということを学びました。我々は、一昨年の8月28日に東証1部上場企業となりました。東証1部上場企業として「上場企業らしさ」を持つためにも基本的なことをしっかりとやろうと言っています。
――お好きな言葉は。
持田社長 「冷静なる頭脳と温かき心」です。ビジネスは冷静に進めなければいけませんが、温かい心もまたビジネスのみならず人間関係を構築する上で重要なことなので座右の銘にしています。
――これまで、オーナーのもとでやってこられましたが、東証1部に上場され、50年の節目に社長に就任されました。改めて、今のお気持ちを。
持田社長 やはり東証1部上場企業であるという思いを大切にしたいと思います。永続的な成長のために、経営基盤をより強固にして社会的な責任を果たすことが私に課せられた役目だと思っています。
――御社グループの事業は大きくは、自動車業界向けの抵抗溶接機器関連事業とエレクトロニクス業界向けの平面研磨装置関連事業から成っています。いずれも業界上位ですが、個人投資家の方には少々難しいと思いますし、アナリストの方も自動車担当者かエレクトロニクス担当者かということもありますね。
持田社長 確かに当社グループの事業をご理解いただくのに難しいところはあります。個人の株主数が少ないのもこのあたりに原因があると思います。今後は個人投資家向けIRにより力を入れていきたいと思っています。
08年9月期の第1四半期は32.4%増収
営業利益90.2%増と出足好調、今期も年40円配当継続
――2007年9月期は連結で売上13.8%増、営業利益14.5%増、1株利益170.79円、年40円配当の好成績でしたが、新しい期に入っていかがですか。
持田社長 10〜12月の第一四半期では、前年同期に比べ売上高は32.4%伸長しました。営業利益も90.2%の大幅な増益を達成できました。抵抗溶接機器では昨年秋口までは溶接関連の設備投資を調整していた日系自動車メーカーからの引き合いが回復基調に転じ、第一四半期に納入が集中しました。この結果、溶接機器関連の売上は前年同期比で13.4%増え55億93百万円となりました。平面研磨装置関連につきましても受注残の出荷・検収を順調に消化するとともに第二四半期に予定の案件が前倒しとなったことで前年同期比50.7%増の74億78百万円と好調でした。08年9月期の見通しは、当初予想の売上高470億円(3.9%増)、営業利益59億円(6.4%増)、1株利益185.05円は変えていませんが、十分達成できる見通しです。配当は年40円を予定しています。
――ご趣味はいかがですか。
持田社長 ゴルフは好きです。
――社長業が忙しくなりますと、なかなか行けないのでは。
持田社長 これまでは年に35回くらいラウンドしていましたが、今は確かに難しいですね。でも今でも定期的にゴルフスクールには通っています。
――そうですか、熱心ですね。
持田社長 学びに行くと、我流では得られない「ナルホド」というものがあります。基本を知ってやるのと、知らないでやるのとでは大きな差がでると思います。ゴルフのほかにも、週末は水彩画のカルチャーセンターへ通っています。ここでも絵の基本を学んでいます。
――すごいですね。ゴルフのハンディは。
持田社長 13です。
――ありがとうございました。
posted by 犬丸正寛 at 13:49
| 会社訪問・近況と展望
2008年02月21日
ルシアンの野村直史社長に『経営と思い』を聞く
「62年の歴史の重みに積極性加えコモディティ・インナーメーカーナンバーワン経営を目指す」
2011年度に連結営業利益16億円(07年3月期3900万円)目指す
ルシアン(8027・大証1部)は京都に本社を置くレディスインナー、ホビー・クラフトなどを手がける老舗。6年前に就任した野村直史社長が、従来からの物つくりのこだわりに企画力を加え成長路線を打ち出した。2011年度には連結営業利益16億円を目標に国内コモディティインナーメーカーのナンバーワンを目指す。野村直史社長に展望を聞いた。
――社員の皆さんへの社長年頭メッセージで、「過去のやり方に固執し変化することを厭うのではなく、厳しい現実を直視して、新しいやり方にチャレンジすることで、自己改革に励もう」と述べられていますが、これはどのようなお考えによるものですか。
野村社長 当社は1946年の会社設立から数えて62年の歴史ですが、手がけている製品はレディスインナー、レディスアウター、ホビー・クラフトなどの日用・実用品分野が中心です。最近はガソリン価格の値上がりなどの影響で消費が減退していますが、われわれの業界は食べ物などに比べると購入を後回しにされやすい弱い立場にあります。しかも、コスト高の要因はたくさんありますが値上げが難しく厳しい状況です。そういった中でわれわれは、「じっとガマンして耐えるのではなく積極的に攻めていかなくてはいけない。コスト高で厳しいのは他社も同じだから、正面から取り組んでいけば必ず勝つことができる、シエアを拡大するチャンスである」と強調しています。
景気、天候など不安定要因多いアパレルだが
企画開発力アップで「勝つ企業」へ
――衣料はたしかに景気の影響を受け易いですし、それに、最近は気候の影響も大きいですね。
野村社長 アパレルは申し上げましたように、食料品のような絶対的な必需品ではありませんから、景気が悪くなると買い控えられますし、天候・気候次第で売上げに影響が出ます。このため、残念ながら08年3月期を営業利益5000万円(前期比27.9%増)へ下方修正しました。このように、われわれの仕事は水商売的な要素が非常に強いと思っています。しかし、だからと言って不安定な状態に身をまかせてはいけない。そのために何をなすべきか、新しいやり方で取り組んでいかなくてはいけません。
――御社は京都に本社を置いておられますが、京都の企業はみなさん堅実です。御社も62年の歴史はすばらしいと思いますが。
野村社長 地味ですが物作りに対しては、「ルシアンの製品はしっかりしているから安心」と言われるくらい正面から真っ正直にもの作りに取り組んでいます。当たり前のことを当たり前にやってきた品質に対するこだわりが当社60数年の歴史だと思っています。しかし、製品に対する高い評価はいただいていますが、企業として、「負けないけど勝たない」ということではいけないと思います。
――たとえば、どのような点でしょうか。
野村社長 売上げが伸びていないことです。このため、たとえば1株当り純資産が200円ありますが株価は100円台にしか評価されていないのは、このあたりに原因があるからだと思います。京都の企業さんは、品質に対する自信と同時に海外展開も非常に積極的です。この意味で当社も「海外売上げ」がこれからの課題だと思っています。既に、数年前から中国・上海へ店舗を出すなど種まきはやっています。また、製造の方では中国での生産比率が全体の約60%を占めていますが、現地へ丸投げするのではなく、申し上げましたように自分たちの手で、"魂をこめて100%のものづくり"をモットーに取り組んでいます。今後はベトナムなどでの製造も増やしていくつもりです。
――社長に就任されて6年ですが、経営ビジョンを再設定されました。この点についてもお願いします。
野村社長 企業は社会においてどのように役立っているかという存在価値がなくてはいけません。われわれは、創立より60年余り、女性を美しく、幸せにするためのビジネスをおこなってまいりました。当社が社会の中での役割をしっかりと果たし、成長していくために本来行うべきことは何であるのか、「経営理念」をいま一度明確にし「経営ビジョン」を再設定しました。衣文化の向上および私たちの活動を通じて1人でも多くの女性を美しく幸せにするという「会社の目的」。魂を込めた100%のものづくりにより消費者に対し安心・彩りによる心の満足を与えることができる「ルシアンスピリット」。そして、より良い明日へ・よりよい人にという「基本的価値観」によって経営理念を明確にし、それを達成するための戦略上の判断や実践時の具体的価値基準として行動規範に基づいて行動してまいります。
――目標として、期間や数値などはございますか。
野村社長 当社の社会における存在意義を社員1人ひとりが自ら考え、行動できる企業としてこれからの5年間を歩んでまいります。5年後には、社会・女性への貢献活動、たとえば手芸教室などのような啓蒙的なものに売上高の1%相当を還元できる会社となることを目指します。また、2011年度(2012年3月期)に連結売上高240億円(2007年3月期実績は199億200万円)、同営業利益16億円(同3,900万円)を目標として設定しました。これは、重点事業への経営資源の投入、コスト競争力の強化などにより収益拡大を図ります。重点事業としましたインナー事業、アート・ホビー事業の売上構成比を現状の50%から70%へ高めます。
レディスインナーの『パワーシェイプ』は
発売以来500万枚突破の大ヒット
昨年秋発売の『ここちロール』もいきなり10万枚のヒット
――いよいよ野村直史社長の「経営理念に基づいた戦略的経営の発進」という印象です。伝統の上に成長性が加わり、株式市場での評価も高まることと思います。これまでの推移等を拝見しますと6年前に社長へ就任された時に発売されたレディスインナー「パワーシェイプ」の大ヒットから既に成長路線経営が動き出していたと思います。そして昨年秋には「ここちロール」を発売され、これも大ヒットと聞いていますが、まずパワーシェイプはこれまでにどのくらい売れましたか。
野村社長 パワーシエイプは01年秋に売り出しましたが、これまでに累計500万枚を突破しました。昨年秋発売の「ここちロール」は秋冬シーズンでいきなり10万枚を販売し生産が追いつかない状態です。昨今のインナー市場では身体を引き締めてラインを美しく見せるという機能性を追及した製品に対する需要が高まっています。当社の実施したアンケートでは、ターゲットとなる大人世代のニーズとして「締め付けつけない」、「着心地が良い」、「着ていて楽」というニーズが極めて高いことが分かりました。これに基づいて、「締め付けずここちよくフィットするインナー」をコンセプトとして、生地の編み方は伸縮性に富んだリブ編みに注目しました。これによって、生地幅が約3.5倍伸び、身体の形状にやさしくフィットします。綿とキュプラを併せて92%配合し、肌触りのよさと吸湿性に優れた心地よさを実現しました。
――来シーズンは、「ここちロール」はかなり伸びるのではありませんか。
野村社長 これから販売実績を分析し見極めた上で製造体制を考えます。これまで、営業対応力に重点を置いていましたが、今後はさらに生産力と企画力をコア・コンピタンスとします。生産力については第一にコスト、第二に納期、第三に絶対的品質に置き、単なるコストダウンにとどまらず、製品設計思想まで含めた生産改革を推進します。そして、その生産力を土台として企画力の強化に取り組み、コモディティ・インナーメーカーのナンバー・ワンを目指します。
2011年度に連結営業利益16億円(07年3月期3900万円)目指す

――社員の皆さんへの社長年頭メッセージで、「過去のやり方に固執し変化することを厭うのではなく、厳しい現実を直視して、新しいやり方にチャレンジすることで、自己改革に励もう」と述べられていますが、これはどのようなお考えによるものですか。
野村社長 当社は1946年の会社設立から数えて62年の歴史ですが、手がけている製品はレディスインナー、レディスアウター、ホビー・クラフトなどの日用・実用品分野が中心です。最近はガソリン価格の値上がりなどの影響で消費が減退していますが、われわれの業界は食べ物などに比べると購入を後回しにされやすい弱い立場にあります。しかも、コスト高の要因はたくさんありますが値上げが難しく厳しい状況です。そういった中でわれわれは、「じっとガマンして耐えるのではなく積極的に攻めていかなくてはいけない。コスト高で厳しいのは他社も同じだから、正面から取り組んでいけば必ず勝つことができる、シエアを拡大するチャンスである」と強調しています。
景気、天候など不安定要因多いアパレルだが
企画開発力アップで「勝つ企業」へ
――衣料はたしかに景気の影響を受け易いですし、それに、最近は気候の影響も大きいですね。
野村社長 アパレルは申し上げましたように、食料品のような絶対的な必需品ではありませんから、景気が悪くなると買い控えられますし、天候・気候次第で売上げに影響が出ます。このため、残念ながら08年3月期を営業利益5000万円(前期比27.9%増)へ下方修正しました。このように、われわれの仕事は水商売的な要素が非常に強いと思っています。しかし、だからと言って不安定な状態に身をまかせてはいけない。そのために何をなすべきか、新しいやり方で取り組んでいかなくてはいけません。
――御社は京都に本社を置いておられますが、京都の企業はみなさん堅実です。御社も62年の歴史はすばらしいと思いますが。
野村社長 地味ですが物作りに対しては、「ルシアンの製品はしっかりしているから安心」と言われるくらい正面から真っ正直にもの作りに取り組んでいます。当たり前のことを当たり前にやってきた品質に対するこだわりが当社60数年の歴史だと思っています。しかし、製品に対する高い評価はいただいていますが、企業として、「負けないけど勝たない」ということではいけないと思います。
――たとえば、どのような点でしょうか。
野村社長 売上げが伸びていないことです。このため、たとえば1株当り純資産が200円ありますが株価は100円台にしか評価されていないのは、このあたりに原因があるからだと思います。京都の企業さんは、品質に対する自信と同時に海外展開も非常に積極的です。この意味で当社も「海外売上げ」がこれからの課題だと思っています。既に、数年前から中国・上海へ店舗を出すなど種まきはやっています。また、製造の方では中国での生産比率が全体の約60%を占めていますが、現地へ丸投げするのではなく、申し上げましたように自分たちの手で、"魂をこめて100%のものづくり"をモットーに取り組んでいます。今後はベトナムなどでの製造も増やしていくつもりです。
――社長に就任されて6年ですが、経営ビジョンを再設定されました。この点についてもお願いします。
野村社長 企業は社会においてどのように役立っているかという存在価値がなくてはいけません。われわれは、創立より60年余り、女性を美しく、幸せにするためのビジネスをおこなってまいりました。当社が社会の中での役割をしっかりと果たし、成長していくために本来行うべきことは何であるのか、「経営理念」をいま一度明確にし「経営ビジョン」を再設定しました。衣文化の向上および私たちの活動を通じて1人でも多くの女性を美しく幸せにするという「会社の目的」。魂を込めた100%のものづくりにより消費者に対し安心・彩りによる心の満足を与えることができる「ルシアンスピリット」。そして、より良い明日へ・よりよい人にという「基本的価値観」によって経営理念を明確にし、それを達成するための戦略上の判断や実践時の具体的価値基準として行動規範に基づいて行動してまいります。
――目標として、期間や数値などはございますか。
野村社長 当社の社会における存在意義を社員1人ひとりが自ら考え、行動できる企業としてこれからの5年間を歩んでまいります。5年後には、社会・女性への貢献活動、たとえば手芸教室などのような啓蒙的なものに売上高の1%相当を還元できる会社となることを目指します。また、2011年度(2012年3月期)に連結売上高240億円(2007年3月期実績は199億200万円)、同営業利益16億円(同3,900万円)を目標として設定しました。これは、重点事業への経営資源の投入、コスト競争力の強化などにより収益拡大を図ります。重点事業としましたインナー事業、アート・ホビー事業の売上構成比を現状の50%から70%へ高めます。
レディスインナーの『パワーシェイプ』は
発売以来500万枚突破の大ヒット
昨年秋発売の『ここちロール』もいきなり10万枚のヒット
――いよいよ野村直史社長の「経営理念に基づいた戦略的経営の発進」という印象です。伝統の上に成長性が加わり、株式市場での評価も高まることと思います。これまでの推移等を拝見しますと6年前に社長へ就任された時に発売されたレディスインナー「パワーシェイプ」の大ヒットから既に成長路線経営が動き出していたと思います。そして昨年秋には「ここちロール」を発売され、これも大ヒットと聞いていますが、まずパワーシェイプはこれまでにどのくらい売れましたか。
野村社長 パワーシエイプは01年秋に売り出しましたが、これまでに累計500万枚を突破しました。昨年秋発売の「ここちロール」は秋冬シーズンでいきなり10万枚を販売し生産が追いつかない状態です。昨今のインナー市場では身体を引き締めてラインを美しく見せるという機能性を追及した製品に対する需要が高まっています。当社の実施したアンケートでは、ターゲットとなる大人世代のニーズとして「締め付けつけない」、「着心地が良い」、「着ていて楽」というニーズが極めて高いことが分かりました。これに基づいて、「締め付けずここちよくフィットするインナー」をコンセプトとして、生地の編み方は伸縮性に富んだリブ編みに注目しました。これによって、生地幅が約3.5倍伸び、身体の形状にやさしくフィットします。綿とキュプラを併せて92%配合し、肌触りのよさと吸湿性に優れた心地よさを実現しました。
――来シーズンは、「ここちロール」はかなり伸びるのではありませんか。

posted by 犬丸正寛 at 16:22
| 会社訪問・近況と展望
2007年11月14日
サンフロンティア不動産の堀口智顕社長に聞く
サンフロンティア不動産の堀口智顕社長に聞く
時流に乗るビル再生のリプライニング事業
遵法性・安全性のニーズ対応で業績上方修正
今回は筆者の単独会社訪問ではなく、アナリスト等の決算発表会の席上に参加したもの。サンフロンティア不動産<8934>(東証1部)は、07年9月中間期を5月10日発表の数字を上方修正した。売上高は4億700万円増額の214億700万円、営業利益も9億8200万円増額の46億4200万円、経常利益同11億7900万円増額の44億2900万円、中間当期純益同7億8000万円増額の24億8000万円という内容。
前年同期との比較でみれば売上38.5%増、営業利益51.9%増、経常利益56.3%増、純益69.9%増というすばらしい伸びだ。中間配当は実施していない。今3月期期末配当は500円増配して年1500円を予定している。また、筆者が業績の中で最も重視している営業利益率は前年同期の19.76%から当中間期では21.68%へ向上した。
同社の主力事業は不動産(ビル)再生のリプラニング事業。首都圏で数多く存在する築後20年を経過したビルを再生、再び、活動させるものだ。都市の美観が向上し都市自体の再生にも役立つし新規に立て直すより省資源にも貢献し環境面にも良い。
2010年3月期に売上高1000億円を目標
同社の堀口智顕社長は、「最近の市場は、遵法性に欠ける物件が多数、放出されつつありますが、建築基準法の改正や金融商品取引法の施行など遵法性・安全性が強く求められる「正しい市場」に移行しています。わが社は以前より、違法物件や既存不適格物件の是正に注力してきましたが、従前以上に取り組んでいます。こうした正しさを求められる市場において、リプラニング事業は時代性にあった事業として社会ニーズに後押しされ、仕入・販売ともに引き合いが高まっています。当中間期の販売は販売15棟、売上高193億4500万円、粗利益率においても24.1%と当初計画の21.7%を上回る高水準を維持しました。なかでも私募ファンドを出口に遵法性を作り込んだ4物件総額155円超のパッケージ販売が完了したことは当社のビジネスが評価されているためと自負しています」と胸を張る。中小ビル物件では第一人者としての自信である。
ただ、中間期が好調だったものの今3月期通期予想は従来から変えていない。最近の経済情勢等を考慮して慎重に見ている。それでも08年3月期は売上高56.0%増の550億円、営業利益22.8%増の106億9000万円、経常利益19.4%増の99億円、当期純益7.1%増の52億円とすばらしい数字。1株利益15695円で、13日株価20万3000円はPER12.9倍にすぎない。2010年3月期には売上高1000億円、経常利益200億円、経常利益率20以上を目標として掲げている。
時流に乗るビル再生のリプライニング事業
遵法性・安全性のニーズ対応で業績上方修正

前年同期との比較でみれば売上38.5%増、営業利益51.9%増、経常利益56.3%増、純益69.9%増というすばらしい伸びだ。中間配当は実施していない。今3月期期末配当は500円増配して年1500円を予定している。また、筆者が業績の中で最も重視している営業利益率は前年同期の19.76%から当中間期では21.68%へ向上した。
同社の主力事業は不動産(ビル)再生のリプラニング事業。首都圏で数多く存在する築後20年を経過したビルを再生、再び、活動させるものだ。都市の美観が向上し都市自体の再生にも役立つし新規に立て直すより省資源にも貢献し環境面にも良い。
2010年3月期に売上高1000億円を目標
同社の堀口智顕社長は、「最近の市場は、遵法性に欠ける物件が多数、放出されつつありますが、建築基準法の改正や金融商品取引法の施行など遵法性・安全性が強く求められる「正しい市場」に移行しています。わが社は以前より、違法物件や既存不適格物件の是正に注力してきましたが、従前以上に取り組んでいます。こうした正しさを求められる市場において、リプラニング事業は時代性にあった事業として社会ニーズに後押しされ、仕入・販売ともに引き合いが高まっています。当中間期の販売は販売15棟、売上高193億4500万円、粗利益率においても24.1%と当初計画の21.7%を上回る高水準を維持しました。なかでも私募ファンドを出口に遵法性を作り込んだ4物件総額155円超のパッケージ販売が完了したことは当社のビジネスが評価されているためと自負しています」と胸を張る。中小ビル物件では第一人者としての自信である。
ただ、中間期が好調だったものの今3月期通期予想は従来から変えていない。最近の経済情勢等を考慮して慎重に見ている。それでも08年3月期は売上高56.0%増の550億円、営業利益22.8%増の106億9000万円、経常利益19.4%増の99億円、当期純益7.1%増の52億円とすばらしい数字。1株利益15695円で、13日株価20万3000円はPER12.9倍にすぎない。2010年3月期には売上高1000億円、経常利益200億円、経常利益率20以上を目標として掲げている。
posted by 犬丸正寛 at 13:31
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2007年10月29日
ティムコの霜田俊憲社長に近況と今後の展望を聞く


霜田社長 TIEMCOは、"Tokyo Export&Manufachuring Company"の略称で、東京をスタートポイントとして、貿易・製造を問わずさまざまな手段によって、未来に向けたビジネスを実現できる企業でありたいとの思いを込めています。ティムコは自然を思い、自然とのフェアな関わり方を大切にします。この心をご理解いただくために、ロッド(釣竿)の原点ともいえる六角竿のフォルムの中へ山並みと流れのイメージを盛り込んでいます。とくに、「フライ」と「ルアー」のパイオイニアとして、リーダーとして、このマークと心を表す言葉、"Think in the field"を忘れず、優れたアウトドア用品を提供していきます。

霜田社長 食べることだけを目的とした釣りということでは、ずっと昔からですが、楽しみとしての要素も加わった釣りは江戸時代に殿様から町人までやっていたという記述があります。さらに17世紀頃、スポーツとして取り入れられるようになり、20世紀になるとヨーロッパから遊び、レジャーとして入って来て、車の多様化や道路網の整備などもあって高度成長経済時代に一気に釣りが大衆化しました。
――その当時に創立されたのですね。
霜田社長 そうです。1969年(昭和44年)です。日本が豊かになった頃です。まず、欧米の輸入品から始めましたが、しかし、日本ではまだインストラクターが不在でしたから、アメリカの本を翻訳して出版したりスクールも開いたりして、顧客を作りながらやってきました。とくに、10年前にブラッドビッド主演の映画がヒットとなったのをきっかけに釣りブームとなりました。
――魚を食べるための釣り、スポーツとしての釣り、どこが違いますか。
霜田社長 キャッチ・アンド・リリース、つまり釣った魚を殺さないで逃がす、この点がスポーツとしての釣りの一番の特徴です。今では理解されていますが、当時は、「釣った魚を逃がす」ことは考えられなかったので、隔世の感がありますね。
――創業からしばらくは輸入品中心でしたか。
霜田社長 そうです。創業から10年くらいは輸入品中心でした。1970年代の終わり頃から道具やルアー(小魚を模して作られた擬似エサ)などを作り始め、1984年に毛ばりを巻く針をデザインして作り、アメリカで売り出したところ大変、好評を得まして、現在、「TMCフック」は毛ばりの最高級品として評価をいただいています。今は、アメリカのほかにヨーロッパでも販売しています。そして、1982年からフライフィッシングの考えをベースとした「アウトドア衣料」を展開しています。最初は長グツ、ベストなどから入り、シャツ、帽子、レイン・防寒用など、かなりの点数に達しています。現在は、外国で作っている自社仕様の輸入は全体の80%程度、純粋な輸入ということでは30%程度です。
――創業時に比べると隔世の感があるとのことですが、海外と比べて、現在でも釣りをスポーツと捉える意識の差はいかがですか。
霜田社長 海外では釣りをスポーツとしての捉え方は強いですね。外国の人も、もちろん魚は食べますが日本人ほどは食べません。富裕層を中心にハハンティングとしての捉え方です。日本は海に囲まれた島国ですから、「魚は食べるもの」という意識は外国に比べると強いです。それに、外国ではマスなどのいる河川は公共できっちりと管理がされ、入漁権もしっかりしていますが、日本では欠けています。それでも、ほかのスポーツと比較しますと、自然とのふれあいができるスポーツです。しかも、生き物との戦いのおもしろさもあります。最近、鱸(すずき)のルアー釣りが人気となっています。ジャンプする魚ですからゲームとしておもしろいことからブームとなる兆しがあります。
――ところで、どの業界もそうだとは思いますが、先行き少子高齢化の影響が予想されるのではありませんか。
霜田社長 われわれは3つの取り組む課題を掲げています。@付加価値の追求、Aスクールなどにいっそうの注力、B女性層の開拓です。
――付加価値については、どのような取り組みでしょうか。
霜田社長 単なる売上げ拡大ではなく、努力に見合った利益が取れるための売上げ、即ち、製品の差別化に力を入れていきます。当社には歴史があり、ユーザーから「ティムコが売るものなら安心」という信頼感をいただいていますので、このブランドイメージを大切にして、品質と機能のいっそうの向上に力を入れていきます。現在、市場シエアはフライで25〜30%ですが、35%程度を目指します。
――スクールなどのイベントについての狙いはどのようなところにありますか。
霜田社長 冒頭で、翻訳本を出版したりスクールを開いたりして顧客を育てながらやってきたと申しましたが、これからも啓蒙活動は続けていきます。キャンプと釣りをセットとした家族提案のスクールを初夏と秋の年2回実施していますし、初心者のスクールも年30回開いています。他のスポーツからの獲得も重要なことです。
――3つ目の女性層の拡大ですが、海外での女性ファンはいかがですか。
霜田社長 アメリカで10〜12%ていどです。日本ではまだ7%ていどです。女性が苦手のエサをつける必要がありませんし、魚を殺さなくて逃がしてやることも女性には受け入れやすい点です。サングラス、キャップ、ベストなど釣のスタイルはファッションとしても絵になるということで徐々に人気が高まっています。フライフィッシングはご夫婦が多いですよ。JR東日本のコーマーシャルで吉永小百合さんがフライフィッシングに登場されていますので効果が出てくることを期待しています。女性サイズの長靴も用意しました。
――今11月期は。
霜田社長 売上高は6.6%の31億7400万円と増収見通しですが、新規出店やリニューアル等に伴う店舗設備の減価償却や店舗経費の増加で営業利益は15.3%減少の8400万円の見通しです。配当は年22.5円を継続の予定です。
――来期はいかがでしょうか。有利子負債2200万円に対し現金預金等で6億1400万円、1株純資産2206円と優秀な財務内容です。
霜田社長 来期の数字はまだ公表していませんが、11月から釣竿の販売価格を一律5%値上げしますので、この効果が来期には出てきます。企業が安定していることは社員にとっても悪いことではない。このため、財務内容の安定は今後も守っていきます。
posted by 犬丸正寛 at 09:43
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2007年10月19日
日本で一番『ありがとう』といわれる葬儀社を目指して業績拡大のティア


社名のティアとは−−。会社案内パンフレットの富安徳久社長挨拶から紹介すると、「TEAR(ティア)という社名は、日本語で涙という意味ですが、ひと雫の涙の尊さを心から感じ、悲しみの涙を少しでも和らげてあげたいという意味を込めています」ということだ。
徳安社長は大手葬儀社に勤務した経験を持つ。遺族は、悲しみと動揺の中で葬儀を営む。とくに、価格については、十分な説明と遺族の納得のないまま設定され、葬儀後に高額な請求で嫌な思いをするものだ。「誰のための、何のための葬儀だろうか。あっという間の2日間。お金がかかっただけだったという、疑問や不満だけが残る流れ作業による葬儀ではいけません」というのが富安社長の葬儀に対する思いだった。そうした改善を当時の勤務時代に提案したが聞き入れられず、独立を決心し1997年に同社を設立した。

同社は、月額の掛け金はなく、1万円の入会金で会員となることができる。会員数は約10万人。葬儀にあたっては、会員は40万円相当の葬儀特典がつく。もちろん、葬儀費用も余計な費用をかけないよう、透明性を大切に遺族に説得するのではなく納得してもらうことを第一としている。
名古屋市内では、まだ4区に店舗がないので、関東など他地域への出店より、市内への出店に優先して取り組んでいく。
集計中の07年9月期(非連結)は売上高55億7900万円(20.3%増)、営業利益3億5700万円(21.1%増)、経常利益3億円(40.8%増)の見通し。1株利益は7940円、配当は年1000円を予定。10月18日の株価は8万8300円。
posted by 犬丸正寛 at 17:02
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2007年10月16日
ひまわりホールディングスの山地一郎社長に近況と今後の展望を聞く

山地一郎社長に聞く

山地社長 相場変動によって業績が変わりますので、ご指摘の通り今年5月15日の前3月期決算発表時点において、08年3月期については中間、通期とも予想数字は出していませんでした。9月中間期については見通しが固まりましたので発表しますた。営業収益は36億2500万円(昨年9月中間38億7900万円)、営業利益2億1300万円(同2億2600万円の赤字)、経常利益3億1500万円(同1億7900万円の赤字)、最終純益8億5800万円(同5億1000万円の赤字)という数字です。
――営業収入(売上)は、前年同期に比べて減少ですが、利益は赤字から大幅な黒字転換で、収益の改善が顕著です。これは、どのような理由ですか。
山地社長 当社は、@外国為替取引(FX)関連事業、A証券取引関連事業、3商品先物関連事業の3事業を手がけてきましたが、このうち、赤字傾向にあった商品先物関連事業について、今年7月に対面リテール取引部門を会社分割、またホールセール部門を事業譲渡により、それぞれ事業分離を行いました。営業収益は減少しましたが、費用も大幅に減り収益に寄与しました。また、7,8月に為替相場と株式相場が大きく動いたことで、とくに主力の外国為替取引事業が好調でした。商品先物取引のインターネット部門につきましても10月に譲渡しました。
――商品先物取引事業は、環境が厳しいということでしょうか。
山地社長 平成17年5月の改正商品取引法施行による環境変化の影響や値動きの激しい相場環境から、売買は総じて低調となり市場全体の売買高は3年連続の減少です。こうした厳しい環境から商品先物取引から撤退を決めました。
――今後は、外国為替取引と証券取引の2事業の展開ということですが、もともと御社は外国為替取引では先発でした。
山地社長 そうです。10年前にわが国で最初に外国為替取引をスタートしました。現在では、連結収益の70%程度が外国為替取引事業で占めています。これからも、先発の強さを武器にこの事業に力を入れていきます。
――同業他社が手数料ゼロを打ち出すなど競争は激しいようですが。
山地社長 10年前は当社だけでしたが、外国為替取引の認識が高まり進出するところは増えています。このなかで、当社はマーケットの無いところから「投資育成」を手がけてきた実績がありマーケティングでは成功していますので、今後もこの姿勢は堅持していきます。とくに、各種投資セミナーではインターネット上で毎日3,4コマ、年間で1000コマをやっているのは当社だけですし、会場方式のセミナーも月1、2回開催しています。
――でも、厳しい言い方ですが、御社で知識等を身につけられても、実際の取引は手数料ゼロの他社へ行ってしまうのでは。
山地社長 確かに、その点はあります。いくらマーケティングに優れていても手数料のところで競争に劣っていてはだめです。手数料をゼロにしますと一気に取引量が増えますので、現在コンピューターのシステムについて対応中です。
――一方の証券取引事業はいかがですか。
山地社長 2000年暮れに証券業を始めて6年になりました。日経225先物などデリバティブを中心に手がけ、シカゴやシンガポールなど海外に上場しているデリバティブ商品、あるいはSP500、NYダウなどの情報を日本語で提供を行っています。また、昨年から株式の取引もスタートしましたが、とくに今年から個人投資家向けのシステムトレードも始めています。
――金融商品取引法が9月末から施行となりましたが、こちらの方はいかがですか。
山地社長 当社が扱っているのはデリバティブで、早くからリスクについては説明してきましたので違和感はありません。
――通期についてはいかがでしょうか。
山地社長 数字はまだ申し上げることはできませんが、顧客数、口座数とも増えていますので相場次第で、上期の数字に下期どれだけ積み上げることができるかです。
――配当はいかがですか。
山地社長 幅は未定ですが復配を予定しています。
posted by 犬丸正寛 at 13:11
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2007年10月03日
「うかい」の大久保勇社長に現状と今後の事業計画を聞く

うかい(7621・JQ) 大久保 勇社長に聞く

―本社は、京王電鉄の高尾山口駅から送迎バスで10分弱。深い緑の木々に包まれた、すばらしいロケーション。敷地はどのくらいございますか。
大久保社長 「約6000坪です。」
―すごいですね。離れの座敷方式で70あるそうですが、合掌作りになっていますが、これはどのようなお考えですか。
大久保社長 「まず、私どもは、"おもてなしの心"を全社員が大切にして、40数年間、和洋食の専門店として歩んでいることをご理解ください。この、おもてなしの心に、歴史に基づいた文化を取り入れ、それぞれの店にストーリーを持たせています。現在、和食5店、洋食5店ですが、1つ1つの店にすべて物語を持たせています。この鳥山店は飛騨高山の合掌作りを取り入れ、銀座店には新潟の歴史ある庄屋を一旦、取り壊して、ビルの中にいれて再び組み立てて銀座という近代的な場所に日本の古い歴史を持ち込むことで物語りを感じることができるようにと考えたものです」。
―今年11月オープン予定の東京・表参道うかい亭も、やはり同じ考えですか。
大久保社長 「そうです。世界のブランドが集う街・表参道の"GYRE"の最上階に出店しますが、金沢から歴史ある商家を移築し、加賀の雅を昇華させた空間から、うかい料理を世界に向けて発信します」。
―表参道店について、売上なども含め、もう少し詳しくお願いします。
大久保社長 「料理は、特選うかい牛のステーキをメインに、最上級の魚介類などの鉄板料理です。床延面積は約216坪、メインダイニング54席(個室7室)、円形カウンター22席、バー&ウエイティングホール22席、デザートラウンジ40席です。デイナは1万6000〜2万4000円、ランチは6500〜1万2000円、年中無休です。初年度9億円の売上を計画しています」。
―デザートを別の席でいただけることが好評のようですが。
大久保社長 「席を変えることで、2度、雰囲気を楽しんでいただける、これも、おもてなしの心です」。
―おもてなしの心と、料理のプロという両立はどのようにされていますか。
大久保社長 「プロ意識が強くなり過ぎると、利用いただく皆さんから離れてしまうことになります。利用される皆さんは、1つ1つのことにどのような気持ちを持たれるかを、従業員全員でよく考え、テクニックではなく心の底からおもてなしするよう取り組んでいます。マニュアルはまったくないのが当社の特徴です。このため、コックを担当する者でも駐車場に来て応対することもあります。また、料理については、業界でも当社だけだと思いますが管理職全員による"試食会制度"を設けています。2ヶ月毎にメニューが変わりますが、この妥協のない試食制度を通過しないと新しいメニューは出せません」。
―今後の業績についてお願いします。
大久保社長 「09年度を目標とした中期計画で売上高152億8000万円(07年3月期127億9800万円)、営業利益15億2000万円(同8億3300万円)、有利子負債64億2000万円(同96億8800万円)を掲げています。この間、3店舗の開設を予定しています。ご質問をいただくことが多いのですが、関西地域につきましても私が若い頃、修行させてもらった地でもありますので、当社の方針と合致して、ご縁もあれば出店したいと思っています」。
posted by 犬丸正寛 at 15:19
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2007年10月01日
ビーマップの杉野文則社長に事業の概要を聞く

ビーマップ(4316・大証ヘラクレス)
「メタデータ」をご存知だろうか。直訳すれば、データについてのデータということだが、データそのものではなく、そのデータに関連する情報、という意味である。ビーマップ(4316・HC)が、昨年から放送メタデータの配信事業を展開している。
同社の杉野文則社長に事業の概要を聞いた。「テレビから発信された膨大な情報をテキスト化し、データベース化することで、過去2年間の関東キー局で放送された番組の内容をキーワード検索できるサービスです。市場調査、ライバル企業動向、業界動向、危機管理などに幅広く活用いただけるものです。文字による情報に加え、録画サーバと組み合わせることで、検索した映像を即座に再生することが可能です。テレビで放送された内容に加え、独自の二次調査を行うことでテレビでは放送されなかった詳細な情報を付加し、メタデータを提供します」ということだ。
さらに、8月から、タレント関連物販メタ情報配信事業と、物販サイト「スターセレクション」を立ち上げた。最近、テレビで紹介されたキーワードでインタネットを検索する人が急増。携帯電話にも検索機能が搭載されていることでインタネットショッピングが目覚しい伸びとなっている。杉野社長は、「テレビ視聴者は、テレビで紹介された物や場所に強い関心を示されます。テレビで紹介された店には長蛇の列ができ、テレビで紹介された商品が飛ぶように売れ、あるいは、テレビドラマで主演女優さんの着ていた洋服が大変な売れ行きを示しています。テレビの促進効果をネットに活用する事業です」という。
すでに30数社のタレント事務所と提携。今後、タレント関連の物販と二次メタデータ販売で年末には月間売上5000万円を計画している。07年3月期の同社の売上高が9億6000万円、月間平均8000万円と比べて大変大きなものである。

posted by 犬丸正寛 at 17:06
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2007年09月21日
共和電業の高木瑞夫社長に聞く

共和電業(6853・東証1部)

「ひずみ」とは、力が加わった時に現れる「ねじれ、ゆがみ、ちぢれ」などの形の変化である。身近に耳にする言葉では、「地殻のひずみ」によって地震が発生するといわれる。力を加えることで発生する応力を測定することによって物体内部の小さなヒビ割れなどを見つけることができる。
高木瑞夫社長に需要先などについてお願いしよう。「当社の製品は研究機関、大学はもとより、産業界に幅広く使用されています。とくに、自動車、鉄道、建築、都市土木、エネルギー開発、宇宙・海洋開発などの分野において、技術部門及び生産部門の計測、管理を強力にサポートしています」。まさに、冒頭に紹介の通り社会の根底を支えている。
具体的な得意先は、官公庁や大手企業など非常に多く、すべての名前を挙げることは難しい。。官公庁では警察庁、防衛省、文部科学省、日本原子力研究開発機構他。特殊・財団法人では鉄道総合技術研究所、電力中央研究所、日本損害保険協会他、民間では大林組、などのゼネコン、大学では北海道大学、東北大学、筑波大学、防衛大学、東京大学他、旭化成、宇部興産、コスモ石油、住友ゴム、ブリヂストン、旭硝子、TOTO、新日鉄、神戸製鋼、住友電工、石川島播磨、荏原、キャノン、クボタ、日立建機、京セラ、松下電器、三菱電機、トピー工業、ホンダ、日本航空、全日空、JR各社、電力、大手自動車メーカーやガス各社など、名門ばかりずらり並んでいる。これだけ、需要先が多岐にわたるため、製品数は2万点以上に達するが、同時に、多品種少量生産を得意とするところに同社の強みがあるわけだ。
当然、ひずみゲージの役割も時代とともに変わってきている。「昭和26年にわが国最初の実船船体応力測定に当社のひずみゲージが採用され産業界から大変な注目を浴びました。当時は、材料の削減や生産の合理化といったことが主目的でしたが、現在では、安全・安心を目的とした使用が中心となっています」と、高木社長はひずみゲージと関連製品の役割の変化を強調される。アメリカで高速道路の橋が崩落、日本では地震で原子力関連施設のトラブルが発生するなど、安心・安全に対する関心は高まっており、ひずみを早く発見することで事故を未然に防ぐことができる。原子力関連の計測では摂氏950度までが可能な世界最高記録を保持している。
業績は堅実。07年12月期の連結売上高は143億円(前期144億1300万円)、営業利益13億3000万円(同11億8900万円)、経常利益12億4000万円(同11億8300万円)、1株利益25.3円、配当は年8円の見通し。
posted by 犬丸正寛 at 17:22
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2007年09月20日
UBICの守本正宏社長に聞く

UBIC(2158・東証マザーズ)

われわれに記憶に新しいところでは、アメリカのエンロンの粉飾決算事件、日本ではライブドアの証券取引法違反がある。エンロンの事件調査では多くのパソコンデータが調査され、IT最先端企業のライブドアでも、当然のことだが、社長と幹部などとのやりとりはほとんどメールで行われたため、その証拠とし100台のPCが押収され、10万通のEメールが調査されたという。こうしたPC調査業務をコンピューター・フォレンジック(Forensic)という。
守本正宏社長に、まず事業の定義を説明を聞くと、「コンピュータ・フォレンジックとは、高度な科学技術を用いて電子データの証拠性を保持し、法的問題を解決する手段」ということだ。
守本社長は自衛隊勤務の経験があり、安全保障に対する気持ちは強かった。なぜ、この仕事を始めようと思われたのですか。「アメリカでは民間企業がこのフォレンジックを手がけ実績を上げていましたが、ITの普及している国では、日本だけが遅れていました。潜在的なニーズは大きいため、いずれアメリカ企業が日本へ進出してくることは間違いないので、今しかないという思いで03年8月に起業しました。当社は独立系ですし、とくに、この事業は知名度とそれ以上に信用力が大切ですから、信用力向上のために今年6月に株式を上場しました」という。
投資家の皆さんには、どのようなことを望まれますか。「社会における存在価値を知っていただきたいと思います。訴訟などのダウンリスクを低減して、事業の継続、価値向上に貢献している会社という点をご理解いただきたい。弁護士等の間では、メールが証拠として通用するのかという話もあるようですが、正しい手段による場合には裁判では証拠として認められます」。
コンピューター・フォレンジック内容を少し紹介しよう。依頼を受けた場合、データが書き換えられないようにハードディスクを取り出し、消去済みのファイルの復元を行う、などの専門で高度な技術によって行われる。インターネットでこうした業務を手がけているところはあるが、実際の端末機を分析することによって行っているのは当社だけである。
業績は好調。08年3月期は売上高71.3%増の8億2400万円、営業利益71.4%増の2億5100万円、経常利益60.9%増の2億3200万円と大幅な増収増益だ。2010年にはコンピューター・フォレンジック市場は300億円の見通しで、同社の優位性からこのうちの多くのシエアを獲得することが予想され成長が期待される。配当は「来期以降に考えたい」という守屋社長の表情は自信にみなぎっている。
posted by 犬丸正寛 at 14:55
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2007年09月18日
三栄建築設計の小池信三社長に聞く

三栄建築設計(3228 名証セントレックス)

同社の小池信三社長は次のように語る。「住宅とは、公共における最大の芸術と思っています。同時に、建築主の人生における最大の夢のひとつだと、私どもは強い思いを持っています。このため、われわれは、社会的な芸術性と個人的生活空間をプロデュースするという大きな責任を負いながら設計・施工をしなくてはなりません。建築主の欲求を最大限に満たしながら、建築主及び多くの人々に安らぎを感じさせるような、住宅を追求することが私どもの永遠のテーマです」という。
社長の言葉から伝わってくるのは、「住宅が好き」という熱い思いである。同社を理解する上で、もう少し住宅について小池社長の思いを聞こう。「私は幼い頃、三角の屋根と煙突のある家を描いていました。皆さんもきっとそうだったと思います。大人になっても、誰の心にもある家に対する思い、たとえば、思わず足を止めて眺めたくなる家、きれいな街並み、仲間や家族と団欒する家、思うだけでウキウキします。そうした誰の心にもある"夢"をカタチにする仕事がしたい、そうした社員ばかりが集まっている私たちは家づくりが大好きな集団です」という。
同社の場合、地域を非常に大切にしている。都心の超高級地でもなく、郊外型でもなく、平均価格帯4500万円が成り立つ地域にマトを絞っている。そうした地域にふさわしく、しかも建築主が満足するデザインの住宅を自社社員によって「設計」する。さらに、施工においても外部にまかせきりとするのではなく、工事協力業者との間で工事管理を行い、実質自社での施工を行う。土地仕入れ・企画・設計・施工まで一貫して手がけることができるため、コスト面においてもかなりの強さを発揮できるという。売上高経常利益率が9%台と高い。ここに、社名に「設計」を用いている大きな理由と会社の特徴があるわけだ。また、土地仕入れに対しても、地域の業者からの持込が多いことも強さになっている。
戸建分譲開発は事業部を本店・市川支店・浦和支店、新たに今年3月から横浜に支店を置き、土地の情報収集、事業利益計画、区画割計画、建物の企画設計、土地仕入、開発申請、設計、工事手配、販売、アフターメンテナンス手配を行い、地域は主に東京、埼玉、千葉、神奈川である。
07年8月期の上期で販売数173件(前年同期比46.6%増)と好調、通期では480件(06年は350件)の見通しで、売上高、利益とも増額した。売上高195億2400万円(06年8月期比27.4%増)、経常利益17億5900万円(同17.5%増)の見込みで年3000円配当を実施する。続く、08年8月期は多摩支店の開設を来春に計画、営業力の効果で売上高250億円、経常利益22億円程度と増収増益の見通し。
小池社長にもう一度、"家"について、語ってもらおう。「昨年、株式を上場したことで、信頼感が高まり、とくにわれわれが、家に対しどのような思いを持っているかが理解していただけるようになりました。業績拡大に弾みがついてきたと思っています」と、熱く語ってもらった。
posted by 犬丸正寛 at 09:32
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